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「一澤帆布工業」「一澤信三郎帆布」「帆布カバン喜一澤」

京都市の手作りかばん店「一澤帆布工業」をめぐる相続トラブルは、遺言書や事業承継について、教科書通りにはいかない難しさを感じます。

「ウィキペディア」で調べますと、「一澤帆布工業株式会社」は、初代一澤喜兵衛が行っていたクリーニングや楽団KYOTO BANDから始まり、現在の一澤帆布は、1905年に創業。
大正時代に自転車が普及し、自転車のハンドルに掛ける道具袋を作るようになり、薬屋、牛乳屋、大工、植木屋、酒屋などの職人用かばんの製造を行い、戦後はリュックサックやテントなども製造するようになったそうです。

厚手の帆布で作られた実用性の高いデザイン、豊富な色、耐久性等を特色とし、若者に人気のあるブランド力を持つに至り、「京都市東山知恩院前上ル一澤帆布製」と縫い込まれた赤枠のタグで有名です。

Ⅰ.
2001年3月に前会長一澤信夫(3代)が死去。その遺言書(1997年12月12日付)により信夫氏が所有していた会社の株式の67%が当時社長の三男信三郎夫妻に、33%が四男喜久夫氏に、預貯金の大半が長男信太郎氏に相続されるはずでした。
Ⅱ.
2001年7月、長男信太郎氏は、自分が預っているという遺言書(2000年3月9日付)を示し、信夫氏所有の会社の株式の80%を信太郎氏に、20%を喜久夫氏に相続されるよう主張しました。
Ⅲ.
信三郎氏は、信太郎氏の示す遺言書を疑わしいものとして、無効確認訴訟を起こしましたが、2004年12月敗訴。信太郎氏と喜久夫氏は、一澤帆布工業の株式の62%を取得しました。
Ⅳ.
2005年3月、信三郎氏は「有限会社一澤帆布加工所」を設立。一澤帆布工業の製造部門の職人全員が同社へ転籍しました。
Ⅴ.
2005年12月、一澤帆布工業は信三郎氏にかわり信太郎氏が取締役社長、喜久夫夫妻が取締役に就任。2006年3月、製造部門の従業員がいなくなったことにより、営業休止に追い込まれました。
Ⅵ.
2006年3月、信三郎氏は、株式会社一澤信三郎帆布を設立。「信三郎帆布」を新たなブランド名としました。
Ⅶ.
2007年2月、信太郎氏は、信三郎氏らに対し類似の商標を使用して競業行為を行った商標権侵害と役員報酬に関する損害賠償訴訟を提訴しました。
Ⅷ.
2008年11月、信三郎の妻は、遺言無効確認訴訟を再び起こしましたが、それに対し、大阪高裁は原判決を取り消し、遺言書は偽物で無効と確認。2009年6月最高裁により判決が確定しました。
Ⅸ.
2010年7月、一澤帆布工業の取締役を辞めた四男喜久夫氏が「帆布カバン喜一澤」を設立しました。